本文へスキップ
あなたの心とカラダを守ります
電話,メールでのご予約・お問い合わせ
TEL.019-613-2022
uwanokazuto@yahoo.co.jp
カズ接骨院(予約優先)

プロフィール


名前:上野和人(うわのかずと)カズ先生と呼んでください(笑)

出身:岩手県盛岡市

誕生日:1978年5月6日おうし座
趣味:映画、TV、インターネット、立ち
読みお酒、嫁・子供と遊ぶこと、治療の勉強、節約、カラオケ

身長:180cm 体重:71kg 足の大きさ:29cm

スポーツ:小・中学校は柔道、高校・大学はレスリング

血液型:O型

好きな食べ物:甘いもの(チョコ、お菓子など)、から揚げ、ハンバーグ、かつ丼、カレー、チーズ、アルコール全般(最近はハイボールが多いです)
嫌いなもの;カエル

<所有資格>
*柔道整復師
専門学校または大学に通い国家試験を受け合格したら得られる資格。ほねつぎ、整骨院などを開業することができる。外傷によるケガなどを治療する。
*PIBW認定クラニアル・プラクティショナーPALMSボディワーク協会認定アドバンスコース修了者(Cranio-Basic〜Cranio-Facial)で認定試験に合格した者は、PIBW認定プロフェショナル・クラニアル・プラクティショナーとして認定登録されます。
MRO(J)・・・ヨーロッパ・オセアニア・アジアで使用されている認定オステオパスの商標登録された基準です。国内的にはオステオパシーが制度化されていない現在にあって、オステオパスの一定以上の水準を証明する唯一の資格です。MRO(J)保有者は年間40時間のセミナー受講が義務づけられており一般の方が安心して施術を受けられます2014年4月に資格失効。

<経歴>
月ヶ丘小学校 (科学部、野球部)
↓ ↓ ↓
厨川中学校 (柔道部)
↓ ↓ ↓
盛岡大学附属高校 (レスリング部)
↓ ↓ ↓
日本体育大学(レスリング部)
↓ ↓ ↓
日体柔整専門学校
↓ ↓ ↓
あみはりきゅう整骨院
↓ ↓ ↓
ジャパン・カレッジ・オブ・オステオパシー


<出生から高校時代>
私、上野和人(うわのかずと)昭和5356日生まれです。生まれた時の体重が4180グラムの大きな子供でした。生まれた時と同じように体重がかなり多めで成長しました。
小学校は月ヶ丘小学校。はだし運動やタイヤで野菜を育てたりしました。部活は野球部、科学クラブをしました。小学生の頃から盛岡西警察署で柔道を始めました。
中学校は厨川中学校。部活は柔道部。中学の大会から体重を減量したり、人生で初めての坊主も経験しました。ただ、柔道は弱くて、試合で勝った記憶があまりありません。
高校は盛岡大学附属高校。第一希望は盛岡市立高校でしたが、見事に落ちました。その時はかなり凹みました。いまだに市立高校の前を通るとあの時の悔しさを思い出します。
受験後、家でごろごろしてあくびのしすぎで顎関節症になってご飯を食べれない時期もありました。高校での部活はレスリング部。盛附は柔道が強かったので、弱い私には無理でした。そこで友人に勧められたのがレスリングでした。指導してくれた先生、仲間のおかげで成績も残せました。最高成績は国体で5でした。その成績のおかげで大学の進路も開かれました。
小学校から高校までの12年間、両親のおかげで無遅刻無欠席の皆勤賞をもらったことは今でも感謝です


<大学から専門学校時代>
大学は日本体育大学。全国から集められた同級生のメンバーと上級生と初めての共同合宿所生活でした。部員の総勢約70名。いま思い出すだけでもすごい生活でした。1年生は奴隷、4年生は神様の世界ですね。二度と戻りたくないですが、かけがえのない経験ができたことや同じ地獄を味わった仲間ができたことは本当に良かったです。
大学在学中に専門学校にも進学しました。あの時は泣きながら親に説明をして進学の了解を得ました。日中は大学、夜は専門学校、空いた時間にレスリングという生活を2年続けました。なにやったか覚えてないくらいハードな毎日でした。そのおかげでレスリングではインカレ3位、国体3位という成績も残せました。
 大学卒業後は専門学校がまだ残っていたのでバイト(焼き肉屋)をしながら勉強していました。国家試験も無事に合格して「柔道整復師」の資格をとりました。資格があったので就職活動も苦労はありませんでした。

<就職からまた専門学校時代>
1か所目の職場では基本的なことを学べてとてもいい経験ができました。ステップアため2か所目の職場、「あみはりきゅう整骨院」。現在、都内で20店舗以上展開しているグループの整骨院です。私が入社した時はまだそこまで大きくなく拡大途中の時期でした。当時金髪気味だった私を雇ってくれて、しかも髪の色に関してなにも言わなかった社長の懐の深さには今でも頭が上がりません。整骨院では4年働きました。2回の夜中2時までの会議や飲み会、一日に100人以上の患者さん、治療技術の向上のための勉強会、そして飲み会。とにかくがむしゃらに仕事して飲んだ記憶があります。いろいろな意味で今の自分の基礎となるものがここで作られました。かけがえのない仲間ができ、たくさんの患者さんと接することができました。その中で、さらに患者さんを良くしたいという気持ちが強くなり、「オステオパシー」という治療技術の習得を目指しました。思い切って当時巣鴨にあった「ジャパンカレッジオブオステオパシー」という専門学校に入学しました。その学校は夜間部だったので日中は分院長として仕事をして、夜は専門学校に3年通いました。日本に在住する唯一のオステオパシードクターに直接指導してもらったのとてもいい経験でした。

<退職から新宿で開業、岩手に帰省して現在>
専門学校の3年生の時に整骨院を退職しました。自分の力を試してみたくなり新宿で独立開業をしました。都庁の隣にあるマンションの1室を借りて始めました。14階建ての10階で開業したので認知されるまで大変でした。白衣姿で新宿駅前でチラシ配りをしたり、ポスティングもたくさんしました。患者さんも増えてきて治療も思うようにできてきました。
その頃に自分がもう少しで30歳になることに気付きました。大学に進学した頃から30歳には岩手に帰りたいという気持ちはありました。東京での通勤電車や人の多さにも疲れていたのかもしれません。
思い立ったら即行動してしまう性格なので新宿の治療院を閉めて平成206月に岩手に帰ってきました。
岩手に戻り少しの間のんびりする予定だったのですが、いままでがむしゃらに働いてきたので何もしない日々に耐えられなくなりわずかな準備期間で平成2073日に「カズ治療院」を開業しました。
そして平成22723日に「カズ接骨院」へと移行しました。
<今の仕事を志した理由>
この仕事を目指したのは高校3年生の時でした。その頃、テレビでバレーボールが流行っていてその中でも、女子バレーの佐伯美香選手を好きになったんです。そこでどうしたら彼女の近くに行けるかと考えたときにバレーの経験がない私はトレーナーなら近くに行けると思いました。そこでいろいろな専門学校を調べて資料請求したりしました。

でも結果は親に反対されました。そんな不純な動機だから反対されたんです。
大学に進学して体育大学で体のことを勉強したり、将来のことを考えた時に「レスリングで相手を倒す側」から「治療で体を治す側」に行きたいと思いました。今度は動機が不純ではなかったので、涙ながらの説得で親も了承してくれました。
職業を知るきっかけは自慢できることじゃないですが、結果的に今の仕事をすることができて幸せです。
現在もたくさんの患者さんや家族に支えられながら頑張っています。
治療家になってから4万人(H24.1月時点)の患者さんに携わることができて幸せです。
奥さんと平成22321日に結婚。平成23323日に娘が誕生。
平成27年6月25日に次女誕生。


これからも患者さんの笑顔、家族の笑顔がたくさん見れるように日々精進していきます。よろしくお願いします。              平成27年10月更新


inserted by FC2 system